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2007年2月20日 (火)

ヤバくない経済学

「やばい」の語源ははっきりしないらしい…

 アメリカでベストセラーになったらしいこの本
Amazonのレビューなんかをみても高評価が多いが、
あんまり面白い本だとは思わなかった。

 理由は幾つか考えられる。
自分が経済学をそれなりに学んだため、
誘因(インセンティブ)に基づく分析が当たり前になっていること。
情報の非対称性がある場合に、
情報優位な側が「悪い」ことをするのは当然。

 もう1つは社会生物学などの知識があったこと。
双子の研究で生みの親のIQが子供のIQに強い影響力を持ち、
育ての親のIQが影響力をあまり持たないことは常識。
これは学校の成績でもほとんど同じことだと思う。

 また、原因が遺伝説にせよ環境説にせよ
社会階層の低い人の犯罪率が高いことも常識。
まあ、これを中絶と結びつけたのはいい着想なのかもしれないが、
これを事前に聞いていたのも良くなかったのかもしれない。

 これらは本来、社会学者がやるべき仕事だが、
それをできなかったのは彼らの知的怠慢に過ぎない。

 1つ疑問なのは、後半の話が「誘因」と関係ないこと。
統計を「正確」に扱うのも経済学の1つの「方法」なんだろうが、
それは「科学」の常識だと思う。
だから4章からは特に経済学特有の分析ではない。

 と思っていたのだが、F木さんが言うには
「誘因ではないことを示すことも誘因分析」とか。
なるほど、だったらこれも経済学と言えなくもないか。

 まあ18歳の俺なら面白いと思ったかもしれない。
でもそれなりに歳と知識を重ねて大人になると、
「悪ガキ」の話の相手なんてできません。

 本質的な話では2つの論点が重要。
1つは「誘因」にはいわゆる経済的なもの以外のものがあること。
(幼稚園児を迎えに来る母親への罰則の話のところです)
それでは経済的誘因以外の誘因とは何か。
彼らは社会的誘因と道徳的誘因と名づけているが、
これらの概念に中身はほとんどない。

 大事なのは人間がなぜこれらの誘因を持つかということ。
経済学者だったらこれらの誘因を外生的に扱えばいいのだろうが、
彼らの話ではこれらは外生的なものではない。
なぜなら幼稚園の運営者の「経済的な」政策によって
道徳的誘因は失われてしまったのだから。

 もう1つは、1つ目の問題とも関係するが、
以下のような彼らの主張だ。

「経済学という科学は基本的に、
 決まった対象があるわけでなく、
 むしろ方法の集まりであって、
 だからどんなにおかしな対象だって扱っていけないわけじゃない」

 彼らはミクロ屋らしく誘因を強調するのだが、
マクロ屋なら「ソローモデルはどうなる」と言うだろう。
多くのマクロ屋は「最近のマクロは最適化問題を入れてます」と言うだろうが、
代表的個人と企業に香辛料をまぶした代物が
そう言う権利を持つかどうかは微妙だと思う。

 しかし重要なのはこんなところではない。
重要なのは「科学とは方法なのか」という部分である。
それに対するのは「科学とは対象である」という主張だろう。

 これは非常に重要な問題だが、
これから論ずるには長すぎるので
またの機会ということで。

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