2008年12月30日 (火)

日本語が亡びるとき

 ネットで評判になっているらしいのですが、全く知りませんでした。
インターネットが普及して英語の時代になると、
<叡智を求める人>は英語で書き始めるようになる。
数学や科学の論文など翻訳可能なものはそれでも良いが、
文学のように言語と不可分で翻訳不可能なものもあり、
そうなると日本文学と日本語は亡んでしまうだろう。
大雑把に要約するとこんな感じでしょうか。

 前半から中盤まで、5章ぐらいまでは面白く読めた。
エッセイ風の1・2章から概念整理の3章を経て、
いかに日本近代文学が奇跡的に素晴らしいかの4・5章。
しかし、6章で、インターネットと英語の時代が来て
日本文学と<国語>としての日本語が亡びるという話になるが、
どうにも説得力がなくて首をひねらざるをえなくなり、
そのため7章での教育改革の話も共感できない。

 そもそも私が、近代だろうが現代だろうが
文学に全く興味を持ってないからかもしれないが、
文学が亡びるのは英語とかインターネットは関係なく、
単純に表現様式としての文学が限界に達しただけではないかと普通に思う。

 筆者も6章の最初にこういう普通の議論を抑えていて、
「文学の終わり」の歴史的根拠として
(1)科学の急速な進歩(2)<文化商品>の多様化(3)大衆消費社会の実現を挙げている。

(1)「人間とは何か」みたいな大切な問いについて、
昔は文学が答えるもんだと思われていたが、
最近はDNAとか脳科学なんかが重要性を増している。

(2)また芸術と娯楽を兼ねる<文化商品>は
昔は文学が唯一ふつうの人の手に届くものだったが、
新しい技術でレコード・ラジオ・映画・テレビドラマが普及してきた。

(3)大衆消費社会で流行る文学とは、
たんにみなが読むから読まれるという本に過ぎない。
多くの場合、ふだん本を読まない人が読む本で、つまらないものが多い。

 しかし、作者はこういった分析をあっさりと退けている。
そこから英語とインターネットと日本文学の亡びという話になるのだが、
ここの論理展開に無理があると思う。
作者は昔と変わらず文学を志向する優秀な人がいると仮定しており、
そういった人たちが英語でしか書かなくなることを憂慮している。
だが、それなら英語文学はそんなに栄えているのだろうか?
私が無学だからかもしれないが、そんな偉い近年の英語作家は聞いたことがない。
やっぱり英語圏でも彼女が羅列する19世紀あたりの作家が一番偉いんじゃないだろうか。

 ということは、やはり上記の(1)(2)(3)が
文学一般にとって致命傷だったということではないだろうか。

 まず(3)の大衆化という問題だが、
この手の話はそれこそ100年前から言われていることで、
まあ、どうしょうもないんじゃないかと思います。

 次に(1)だが、これも至極当然の流れ。
大体、文学がそんなに有難いものだったこと自体が異常。
近代文学が対象とした問題は雑然としていて、
現在の視点から冷静に見直してみれば、
自然科学や社会科学で対応すれば済む問題も多いし、
どうしても無理なら思想とか宗教とかで対処すべき問題もある。
これらを一緒くたにして文学でファイナルアンサーという考え方自体が
古いし、めちゃくちゃだし、まあロマンだよね、としか言いようがない。

 (2)は芸術としての表現様式につきものの話。
どんな表現様式でも、それが発明されたときには開発の余地が大きく、
優秀な人を集めて技術進歩が進むという現象が見られる。
しかし、いつかはそれも飽和し、新味を出すのが難しくなってくる。
こうなると優秀な人はその分野から離れて行く。
これまた至極当然の流れなんじゃないかと思う。

 作者が一番力をこめて書いているのが6章、
それも彼女が思い入れのある漱石に仮託して語る部分である。

くり返し問うが、今、漱石ほどの人材が、
わざわざ日本語で小説なんぞを書こうとするであろうか。

 私の答えは酷くシンプルだ。

 うーん、そっすねー、マンガでも書いたんじゃないっすかねぇ。
多分、妙に濃い目の絵柄のマンガを描いて
「そこにシビれる!あこがれるゥ!」とか
「あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!」とか
「てめー頭脳がマヌケか!?」とか言ってたんじゃないっすかね。

以上。

2008年12月23日 (火)

M-1 2008

 紳助も言っていたけど、今年はレベルが高かった。
今年はっきり駄目だったのはザ・パンチだけだったと思う。
05年なんか品川庄司が4位だったんだよな…
07年にしたって4位のハリセンボンがぎりぎりで、
5位の笑い飯ははっきりつまらんかった。

 レベルアップの要因はいくつかあると思うけど、
単純に出場組が第1回に比べて3倍近くに増えていること。
また技術面の情報伝達の速度が上がったのかもしれない。
まあ、従来不透明だと言われていた準決勝の選抜システムが、
批判があったことでマトモになったのが大きいのかもしれないが…

◆採点システム

 既に指摘されていることだが、M-1は、極端に言うと、
最も面白い漫才コンビが勝つ大会ではなくなっている。

 むしろフィギュアスケートと同様に考えた方が結果を予想しやすい。
「浅田より村主の方が好き」という人もいるだろうが、
現状の採点システムでは村主が浅田に勝つ可能性はない。
理由は単純で、ジャンプの質や回数などによって細かく点数が決まっていて、
そこで村主が浅田を上回ることはできないから。

 M-1はそこまで詳細ではないが、採点基準がはっきりしつつある。
それは(1)ネタの数(2)構成・流れ・演技(3)新規性(4)好み・面白さ。

 (1)はこれまでも言われていたが、今回の審査員の発言はそれを裏打ちするものだった。
誰かは忘れたが「ネタまでの前フリが長い」という発言があり、
次に巨人が「もっとネタを詰め込まないと」と言っていた。
前者も意味合いは全く同じで、フリが長いほどネタ数は減ってしまう。

 とは言っても、ネタが多ければそれでいい、というわけでもない。
もう1つ「完成度」という要素があると思うが、
それを決めるのが(2)の構成・流れ・演技だと思う。

 しかし、ちょっと違った側面からの評価もあり、それが(3)の新規性。
今回ではオードリーが完全にそのパターンで、
大竹ははっきりと「こんな漫才見たことない」と言っていて、
実際彼はオードリーに最高点をつけ、最終決戦でも彼らに票を入れている。

 もちろん、これらのウェイトは審査員によって異なっている。
今年の例だと上沼・巨人は割と保守的に(1)(2)のウェイトが高く、
大竹・中田が(3)のウェイトを高くしている。
ただ大竹はひねくれものなので、特に最終決戦では逆に来る傾向もある。
渡辺は日和見であまり判断をしておらず差をつけない。
松本は独自のセンスなのか総合的な判断なのか、一番普通。
謎なのは紳助で、笑い飯が95点なのに、オードリー・ナイツが89点、
U字工事・モンスターエンジンですら91点。
彼の場合は立場上、色んなことを考えざるをえんのでしょう。

◆決勝

 上記の採点システムを基準にすれば、結果はほぼ妥当なことが分かる。

 笑い飯は(1)は良いが(2)の点で劣る。
闘牛士から鞭打ちへの流れに必然性が乏しい。
もちろん、巨人が言うように何回も出ている弱みもあって、
最初こそそれを逆に生かしたけど、最後はやっぱり見慣れた流れ。

 U字工事は、そもそもネタになっているのかどうか。
上沼が「私は関西の人間なんで…」と言っていたが、
M-1という関西で圧倒的に視聴率が高い番組で、
しかも審査員の過半が関西人という場所で、関東地域のネタは辛い。

 ダイアンは、特に最初の方に無駄が多くて(1)基準を満たさない。

 キングコングが駄目だった理由は、NON STYLEと比較すると分かりやすい。
どちらもフリ・ボケ・ツッコミの流れだが、
NON STYLEはどんどん話が流れていくのに対し、
キングコングは同じ場面(フリ)をやり直すから無駄に感じる。
その結果(2)の構成・流れという点で劣ってしまう。
同じ場面を繰り返すのなら、1場面に複数のボケを持ってきて
畳み掛ける展開にしないと(1)基準としても厳しくなってくる。

◆最終決戦

 オードリーは2本目が無かったのが敗因。
そもそも新規性がウリだと2本目がどうしても辛くなる。

 ナイツはもともとM-1向きではないと言われていたが想像以上の惨敗。
1つは反主流派(大竹・中田)票をオードリーに奪われたというのもある。
ただ、自分が一番驚いたのは、彼らが「感じが悪かった」こと。
レッドカーペットなんかでの彼らの最大のポイントは、
退場の際に3方向に向かって挨拶する礼儀正しさだと思っていた。
しかし、決勝後のインタビューでハナワ弟が「ネタは37個です」
いかにも「俺らはちゃんとおまえらの採点方針に従ってやってやったよ」という感じで。
吉本主催・審査員も関西勢中心という環境で、
緊張感が変な方に出てしまったのかもしれない。

 あと、最終決戦に向けての仕掛けがNON STYLEと被ったのも辛い。
それは、決勝でのネタと連続性を持たせる、というやつで、
ナイツだとそれは、メガネがツボ、ということになる。
ところがNON STYLEも、携帯が戻ってくる、をやってきた。
流れ的にNON STYLEは事前に用意してきたのだと思うが、
ひょっとしたらナイツのを見て入れてきたのかもしれない。

◆「M-1漫才」の完成

 M-1のルールが決まり、採点基準も明らかになり、
それへの対策技術が普及したこともあり、
大体「M-1漫才」は完成の域に達したと思う。
今後、NON STYLEの方向性で最も上手い人が勝つことになるだろう。
ネタとしては決勝のオードリーが最も凄かったと思うが、
あれを2本続けるというのはどうしても難しい。
良く言えば平均レベルが上がったとなるし、
悪く言えばもうこれより上は望めないとなる。

2008年12月10日 (水)

違和感

仲間由紀恵「寧々がしみこんできた」

 そりゃ役者さんだから色々やるのは当然なんですが、
つい最近、千代やってた人が寧々やるってのも…
西田敏行が8代目だったり2代目だったり1代目だったりするのは遺伝ってことで…
緒形拳も覚えてる範囲でも貞氏・経久・定満。
あと信長はいつから石原プロの所轄になったのかと。

 大河以外だと榎木孝明が浅見光彦から浅見陽一郎になったのとか。
西村晃は水戸黄門のイメージが強いだけに、
逆に昔の悪役の方が変な感じもします。
児玉清は役者をやってること自体に違和感が(笑)

2008年11月22日 (土)

スコットランドヤード

 最近、海外のニュースを見ることが多いんですが、
やっぱり世界的な見識が得られて良いですね。例えば

CNNの女子アナが美人揃いだとか
CNNの女子アナが美人揃いだとか
CNNの女子アナが美人揃いだとか

 一方、BBC(注射ではありません)はイソド系のおっさんが話すだけ…
それでもへこたれずに見てるんですが、最近面白いニュースがありました。
今流行の金融危機のせいで、イギリスもご多聞に漏れず失業が急増中。
それでも地域差があって、金融街のあるロンドン周辺は厳しいけど、
製造業が強い地方はそれほどダメージがないんだとか。
それを地域ごとに色分けして、どこが酷いか、どこがマシかを教えてくれるんです。

 地域ごとに失業状況を知らせる細かさも驚きですが、
(日本だと天気予報と選挙のときぐらいしか見ないな。県民性とか流行った割に)
もっとびっくりしたのがウェールズ・スコットラソド・北アイルラソドが入ってないこと。
統計の問題なのか、それともイソグラソド以外の人はBCC見ないのかもしれませんが、
あの国の地域間の感覚の違いはどうなってるんでしょうか。
コトはサッカーだけに留まらんようです。

 そんなことを考えてたときにふと思い出したのが「スコットランドヤード」
ホームズやポワロなどの(って言っても他は知らんけど)
イギリス探偵モノが好きな人は必ず聞いたことがあるはずの言葉。
でも首都警察なのになんでスコットラソドやねん、とずっと疑問でした。

 それでヤホーで調べてみたんですが、2つ説があるらしい。
スコットラソド関係という説と、スコットさんという人名関係説。
前者だったら「そうか、高松にある丸亀町みたいなもんか!」と納得したんですが、
ロソドソの天気のようにすっきりしないオチでしたとさ(ロソドソ行ったことないけど)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89

2008年10月13日 (月)

ツィゴイネルワイゼン

 昔、M井君に勧められた映画。
食事の場面が多くてグルメ(笑)な君には丁度いい、とのことだったのだが、
確かにものを食べる場面は多いとはいえ、これはグルメとは言わんでしょうに。

 ストーリーというほどのモノもないので省略。
要はステレオタイプな変人とその友人である妄想家がいて、
その友人に当てられて変な妄想を延々2時間24分。
勧めてくれたM井君も妄想家なので納得。
インテリが好きそうな映像美だのキャメラワークだののオンパレード。
妄想集だとしたら悪くないが、やっぱり長すぎる気がする。
あんまり人様にお勧めできる映画じゃない。

 1980年のキネマ旬報ベストテン1位。
黒澤明の『影武者』を2位に追いやったのが有名のようだが、
キネマ旬報ってそんなに変な雑誌だったっけ?

 現在時点の観点からのポイントは画像の古さだと思う。
同じ映画でも今の鮮明な画像でやられたら雰囲気ぶち壊し。
『犬神家の一族』とかでもそうなんですが、
気持ち悪いのとか怪しいものは昔の映像の方がいい。
『特捜最前線』は赤焼けしたフィルムがいい。
色のついたヘップバーンは魅力が無い。

 楠田枝里子に似ている大楠道代の評判がいいようだが、
大谷直子の色っぽさが印象に残った。
樹木希林が出ていたそうなのだが覚えていない。

2008年9月25日 (木)

ミルキーはママの味

もちろん、性的な意味で

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.

.

.

こんなネタが思い浮かんだことに自己嫌悪…

参照:http://guideline.livedoor.biz/archives/50263200.html

2008年6月17日 (火)

 日本では「八」は縁起が良い数字とされているが、中国でも同じらしい。
「八」が縁起がいい理由は「末広がり」だから、と習ったし、
wikipediaにも、この理由から中国でも幸運を意味するとある。
しかし、中国での本当の理由は違うらしく、
それは金持ちになるという意味の「発財」の「発」に発音が似ているからだそうな。

 ちなみに「Lucky Seven」は野球から来たらしい。

2008年3月24日 (月)

Multi-Displayへの獣道(3):ディスプレイ編

 動作環境もはっきりしたので、ようやくディスプレイ選び。
机の狭さから薄くてすむ液晶から選びます。

◆選ぶ基準

 どの世界でもやたらと事情に詳しいヲタクというのはいるものだが、
近年のネットの隆盛でそれが表に出るようになってきたようだ。
ディスプレイも例外ではなく、例えばミヤハンさんのサイトがある
高解像度ワイド液晶に限った話だが、非常に参考になる。
彼はNECのMultiSync LCD2690がご熱心なのだが、
こいつは評判がいいらしく、他にもスタパ齋藤さんもオススメしている

 ただ、ミヤハンのサイトが特にそうなのだが、
部外者から見ると「宗教」にしか見えないことも多い。
もちろん用途の違いといってしまえばそれまでだが、
普通のビジネスユースで色の再現性なんかはどうでもいい。

 それでも普通の人が気にする基準が3つある。
それは(1)価格(2)画面の大きさ(3)目の疲れやすさ。
あとデザインを気にする人や、耐久性や保証関係、
特に机の狭い人にとっては大きさや重さもバカにできない。

 ここでは他人の財布をアテにしているので価格はとりあえず無視。
画面の大きさと目の疲れやすさだけに注目した。

◆サイズ

 とりあえず21インチ以上で解像度が「1600×1200」のものを。
「高解像度ワイド」だと「1920×1200」になり、レッツちゃんが映せない。
来年度には新しいのに移行する予定だが、それでも映る保証がない。
その上、狭い机の上でデカ過ぎるディスプレイもいかがなものか、と。
ちなみに30インチなら縦にすればA4が4枚分なので、
バカがやりたい人は挑戦してみてください。

 21インチ以上の理由は、横40センチ、縦30センチあるから。
A4が横21センチ、縦29.7センチなので、ぎりぎり横に2枚収まる。
Acrobat Reader の「見開き表示」機能を使いたいので、最低このサイズが欲しい。
最近は論文を印刷せずにPC上で読む事が多いのだが、
2枚全体を同時に映せたら便利なことは間違いない。

◆目の疲れやすさ

 ミヤハンさんや液晶モニターによる目の疲れについての一考察」参照。
これについてもあれこれ意見があるようなのだが、
大体騒ぐのは一番被害を受けた人(と便乗している奴)なので、
多くの人にとって役に立つ情報かどうかは分からない。

 とりあえず重要なのは液晶のパネル、らしい。
これについてもITmediaの記事なんかも参照。
ただディスプレイの情報を見てもパネルまで書いてないことが多い。
そういう時はこのサイトを見ると発見できるかも。

 ただ、こんな情報を幾ら調べても意味無いので、
論より証拠と秋葉に繰り出して己の目で確かめる。
昔はツクモのディスプレイ館があったのだが
今はツクモeX.の地下一階に追いやられた模様。

 ここでも色々なディスプレイを眺めるのだが、うーん…
もちろん特徴は分かるのだが、それほど目の疲れに違いは…
ただ目の疲れは長期的に来る事も多いので、
ここは人を信じて評判の良いものを買うことにしました。

◆候補

 目が疲れにくくて21インチ以上ということ以下の3つ。

・ナナオ  L997
・三菱   RDT211H
・イイヤマ PL(Pro Lite) H2130

 どれも定価が15万以上する高級品ばかり。
ただ三菱のは生産中止で手に入りにくい。
そこでナナオとイイヤマの比較になるのだが、
どちらも表示面積が43.2×32.4と全く同じで
しかもピボット機能(縦長表示)もついている。

 あとは勘なのだが「EIZO」というブランドネームと、
画面を斜めに出来る点、細かな機能でL997にした。

◆感想

 机を整理して距離をとったせいか、思ったほど大きく感じない。
目の疲れやすさはというと、今のところ従来と大差ない。
半分以上はノートの画面を見ているせいかもしれないが…

 PDFの見開き機能はやっぱり便利。
ただ文章によっては余白が大きいものがあって、
そうなると21.3インチはぎりぎりになってしまう。

 あと期待した Active Rotation や Active Shotはあまり使えない。
前者はディスプレイ側が縦長表示をする機能なのだが、これをやると色が変になる。
もちろん調整不足なのだが、面倒くさいので使わないことにした。
後者は「ピクチャー・イン・ピクチャ」といって
2つのコンピューターからの画面を同時に映す機能。
ただ、一方の画面が小さいため見にくく現実的には使えない。
結果的には何度も画面を切り替えることになってしまった。

 ああ、もう1つディスプレイが欲しい…

2008年3月23日 (日)

Multi-Displayへの獣道(2):動作環境編

 本線とは関係ないですが、笑える記事を見つけたのでご紹介

◆入力側(PC)の構成

 新しいディスプレイの用途は2つあって、
1つはノートPCの外部(2nd)ディスプレイ、
もう1つは新しいワークステーションのメイン・ディスプレイ。
なので、入力系統が2つあって切り替えられるのが望ましい。
ただ世の中には「ディスプレイ切替機」というものもあるので、
これが必須条件というわけではない。

◆映るのか?

 Multi-Displayをする際にネックになってくるのが
出力側のPCがMulti-Displayに対応しているかどうか。
ノートPCならチップセット、
デスクトップならグラフィック・カード、
デスクトップのマザーボードがグラフィック内蔵タイプなら
そのチップセットが鍵を握ることになる。
またMulti-Displayができたとしても、解像度に制限がある場合が多い。
ここでは自分のノートPCの話を例示する。

 自分のノートは Panasonic の「Let's note T2」
性能という点では折り紙つきのレッツ・シリーズだが、
いかんせん買った4年前には既に型落ちだったという古参兵。
チップセットはインテルの855GMなのだが、
これがどれだけの性能かはネットをどんなに漁っても分からない。

 そこでインテルに電話してみる。
しかし、メーカーの Bios の設定などにも依存するため、
メーカー側に聞いてみろというつれない返事。
そこで Panasonic に電話してみたところ、
面倒くさいやり取りの後で絶望的な事実が判明する。
Multi-Displayをすると解像度は「1024×768」が最大だそうだ。

 ちなみにそろそろ次のノートも買おうと考えているが、
そこはやっぱりレッツで行きたいところ。
チップセットもGM965 Expressと進化しているのだが、
ことMulti-Displayに関しては全く条件は同じとのこと。

 「1024×768」だとディスプレイは15インチが限界。
これだと小さすぎてMulti-Displayの御利益も半減以下といったところ。
いろいろ裏技も考えたのだが、なかなか厳しそうだ…

 絶望した!! Multi-Displayに優しくない社会に絶(略)

 しょうがないので、部屋にあった「1024×768」のディスプレイを繋いで見る。
とりあえずこの解像度なら映りそうなので…と思っていたら、
ディスプレイのプロパティには最大「1600×1200」まで対応と書いてある。
ひょっとしたら映るかもしれんと思い、
共有PCがあるK○Nさんの部屋に行ってディスプレイを借りる。
このディスプレイの解像度は低かったのだが、
その部屋の○川さんが「1600×1200」を試させてくれるとネ甲光臨。

 バッチり映りましたよ!!

 Panasonic が嘘を言ったことになるのだが、
メーカーサイドとしては100%動く環境しか保証できんということでしょう。
とりあえず、メジャーなメーカーのディスプレイなら大丈夫だろうと高を括った。

2008年3月18日 (火)

Multi-Displayへの獣道(1):はじめに

買い物嫌いの買い物日記、ディスプレイ編

◆Multi-Displayとは

 Multi-Displayとは1台のPCから複数のディスプレイに表示させること。
ディスプレイが2つの場合にはDual-DisplayとかDual-Headとも言う。
(ただし、なぜか"Multi-Head"とは言わないらしい)
見たことがない人が想像するのは難しいと思うが、
トレーダーの机が一番見る機会が多いのではないかと思う。
参照記事はBiz.ID液晶ディスプレイ購入ナビ2chまとめ

 Biz.IDの記事にも書いてあるが、
御利益は複数の情報を同時に出力できる点。
ワード1つだけで仕事するときのように、入出力が1つしかない場合は別だが、
別の書類やグラフを見ながら自分の文章を書くとか、
texやhtmlなど一方でプログラミングしながら、もう一方に出力するとか、
狭い画面と違っていちいちウィンドウを切り替えなくていいので非常に楽。
自分の場合はExcelのグラフや別の文章を見ながらtexで文章を書いたり、
複数のIEを起動してそれを見ながらtextを書いたりしている。
生産性が30%上がるという話もあるが
本当だか嘘だか、どうやって計測したんだか。

 だったらデカいディスプレイがあればいいんじゃないかと言われそうだが、
それでもMulti-Displayのメリットがいくつか挙げられる。

(1)予算
(2)ノートPCの拡張
(3)「最大化」の利用、
(4)直感的な操作性
(5)縦横比率の違いの利用

 まず(1)の「予算」
昔は特に液晶ディスプレイが高く、
しかもサイズに応じて加速度的に値段が上がっていたので、
あるサイズのディスプレイを1つ買うよりも
半分のサイズのを2つ買った方が安上がりだった。

 しかし最近はそうでもなくなってきた。
品質に拘らなければ22インチのものが3万程度で手に入るし、
24インチでも5万もあれば買えてしまう。
それでも質をある程度保とうとすると高くなるし(後述予定)
そもそも一定サイズ以上のディスプレイの選択余地は非常に狭いため、
安く上げられるというメリットが無くなったわけではない。

 次に(2)の「ノートPCの拡張」
portabilityからノートPCを使う人は多いと思うが、
ノートのディスプレイはどうしても小さくなってしまう。
逆にでかいディスプレイだと重くなって
肝心の持ち運びが辛くなってしまう(*)
そこで職場に2台目のディスプレイがあれば、
作業空間を広くして仕事をすることが出来る。

 (3)も現実的には結構大きい。
1つの大きいディスプレイに複数のウィンドウを表示するのは管理が面倒くさい。
IEなどは前回のウィンドウのサイズを覚えているので、
画面構成が完全に決まっているのならそれほどでもないが(**)
そうでない場合はウィンドウを開く度にサイズを調整してやらないといけない。
Multi-Displayならそれぞれの画面で「最大化」が使えるので、
ボタン1つで画面の広さを最大限有効活用ができる(***)

 ただ、実は、この点にはトレードオフがあって、
1つの大きなディスプレイの方が柔軟性があるとも言える。
複数のウィンドウを起動して、お互いの大きさを変えられるからだ。
ただ実際の使い方を考えてみると、それほど大きな問題ではない。

 (4)の「直感的な操作性」
これも慣れと言えば慣れなのだが、
ディスプレイが複数あると役割分担がしやすい。
PCを使った作業というのは大抵「何かを見ながら何かを書く」だと思うが、
ノートだとPCと一体化した方で書きながら
外付けの方に情報源を表示させることが出来る。

 (5)の「縦横比率の違いの利用」
PCから得られる情報には縦型のものと横型のものがある。
HPやメールは普通上から下に流れていくので、
縦長の方が1つの画面の情報量が増える。
一方、Excelのグラフなんかを見る際には横長の画面の方がいいし、
pdfなどの「見開き機能」なんかも横長画面でないと使えない。
複数のディスプレイがあれば、用途ごとに使い分ける事ができる。

 自分の場合は、ノートの画面で文章を書きながら、
外付けの横長の画面に見開きにしたpdfやExcelのグラフを表示している。
ブラウザを見る場合は、外付けの画面を縦にして表示。

 普通のディスプレイは横長だし、それしか無いような気もするが、
最近はワイド液晶が増えていて、かなり横幅が広がっている。
また「ピボット機能」なんかがあれば画面を縦長にすることもできる。
ピボット機能については後述予定だが、
とりあえず「液晶ディスプレイ購入ナビ」を参照

(*)1.5kg以上のノートは筋トレです
(**)画面の右半分がExcelで左半分がWord、と決めているような場合
(***)ディスプレイ数より多いウィンドウを開く場合は結局同じことをやるハメになるが…

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